【スタァライト】劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト を鑑賞しました

劇場版スタァライトを観てきました。
どんなことを表現しているのか、全部見抜いてやるぞ!っていうスタンスで観てるんですが、公開日に観に行った最初の1回は常に圧倒されてしまい、なにも考えられずに終わりました。
パンフも読み込み、アニメもロロロも見直し再チャレンジした2回目も、やはり勢いに負けてちゃんと全部は観きれていないなという状態です。多分まだ何度か映画館に足を運ぶと思うので、その際にちゃんと観れるように、映画の感想、考えていること、わからないことをまとめて、次の映画鑑賞の足がかりにしようというのが主題です。私はこう解釈したよ!っていう主張がしたいのと同時に、「それは違うよ!」というツッコミ待ちでもあります。私はみんなのスタァライトをもっと知りたいし、その上でもう一度映画を見に行きたいと思っています。

全文章に漏れなく劇場版とアニメ本編のネタバレが含まれると思いますので、ここから先はぜひ劇場版を観てから読んでいただければと。

冒頭~レヴューまで

トマトが炸裂するところから始まった時点で、理解が追いつかないんだろうなと覚悟したのを覚えています。

謎のキリンダッシュから始まりましたけど、見逃してしまったのか?っていうのはキリン=観客≒我々っていうところを考えると、アニメ-劇場版間で時間が経ってるっていう表現なのかなって思ってます。舞台少女9人の物語は私たちの観測していない場所でも進んでいて、その中でも転機となる場所を我々は今から見れるんだぞっていうのを示されていたのかなと。

最高学年として卒業を控えた99組が進路相談をしているところで、純那ちゃんの進路が演劇でない通常の大学進学になっていて、この時点でちょっと涙腺にきましたね。決して戦わないことを選んだわけではないのだけれど、国内最高峰の演劇学校で一桁に入る実力を持つ星見純那という舞台少女が、圧倒的実力差を見せつけられて一旦舞台を降りることになるというのがもうしんどい。でもこんなこと現実では平気であるんだろうなって。甲子園優勝校で野球をしている人全員がプロ選手になるわけでもないし。
逆に演劇の道に進むということを決意している人間の中では、まひるちゃんとばななが刺さりました。自分には輝きがないって言っていたまひるちゃんが国内最高峰の新国立第一歌劇団に挑戦することを決意できるまでに自信を持てたこと、99回聖翔祭のスタァライトを再現するためにやり始めた裏方の仕事についてもばななが前向きに検討していることっていうのが、アニメシリーズで培ったものがひどく人生に影響を及ぼしているってことを感じられてめっちゃよかったです。

劇団の見学にいく前日に、香子が「自分は見学にいかない」というシーン。香子は新国立第一歌劇団について「しょうもない」って言っていたけど、香子としては一緒にいるはずだった双葉が劇団に『取られてしまう』という感情から? ここの感情の動きって実のところあまり私の中で落とし込めていなくて。このしょうもないという話からキリンのオーディションの話につながるっていうところ。香子はキリンのオーディンについて言及しなくなった他の99組について、トップスタァじゃない自分を受け入れたのかって問いかけたけれど、国内でもトップと言われる劇団に入ることを目指すことはトップスタァを目指すことと相違ないんじゃないかって。だとするともっと違う感情があって香子はあれを発したんじゃないのかっていうのがあるからまた観に行って理解を深めたい。ランドリーにいたクロちゃんに対してなにかを言いかけたのは双葉に進路を進めたのがクロちゃんだったからってことだと思うけれど、でも途中で引っ込めたのは進路を決めたのはあくまで双葉だっていうことをわかっていたからなんだろうなって。

電車に乗って新国立第一歌劇団に向かうシーン。双葉に新国立を勧めたのがクロちゃんであることがここで明示されたわけですが、地味にアニメで描かれていた夜の秘密の特訓の関係が続いていることも示唆されていてふたクロ勢に供給がありましたね。クロちゃんは双葉の実力をより深く知っているからこそ、新国立いけるんじゃない?って言ったんだろうけど、じゃあ純那ちゃんについてはどうだったんだろう、とか考えてしまった。純那ちゃんが努力してるっていうのはきっと周知の事実で、双葉には勧められて、純那ちゃんには・・・?とか。あとTwitterのネタバレで見た、「クロちゃんに『ファンみたい』と揶揄されたまひるちゃんの質問より、純那ちゃんの質問のほうがよっぽど『ファンみたい』だった」っていうの、めちゃめちゃ気になってる。確認してきます。あと天堂真矢と車内広告のおじさんのポーズが一緒だったのくすっときた。

皆殺しのレヴュー

初見はビビリ散らかしたマジで。
いきなり電車変形するし。純那ちゃんの首から血(トマト)吹き出すし。

まずレヴュー曲がめちゃめちゃかっこいい。ばななの声ってやっぱりちょっと怖さあるよね。
本来二刀流であるはずのばななが刀一本で6人相手に大立ち回りするっていうクッッッソかっこいい映像が映画館のでかいスクリーンで観れるだけでも幸せ。もう一本が到着するシーンもめっちゃかっこよかった。そして話しかけてくる純那ちゃんに目もくれず一太刀でいなしていくあの冷たさよ。アニメの頃から、ばななの戦闘シーンはほんとに見どころ満載ですき。

皆殺しのレヴューっていうタイトルだけれど、はたして殺したのはばなななのかというのは疑問。死にかけていた舞台少女たちに死を自覚させた、だから皆殺しではないのでは? でも死にかけの舞台少女たちを"ちゃんと死なせた"という意味では皆殺しというのも正しいのか。

このレヴューの意義については、『舞台人として生きていく覚悟』とかっていうのを自覚するため、そのために精算しなくてはいけないことを精算しよう(生産?)、っていう部分の導入であると思っていて、その最初の段階として『私たちはもう舞台の上』であることに気づけるかどうかっていうテストがなされたわけで。なんでばなながそれを試す側にいるのか? 私は舞台に対する執着の強さからじゃないかなって思ってます。なんせ初めて立った舞台の眩しさに囚われ、その舞台に立ち続けるために多大な努力を払ってきた人間なんですから。だから舞台に立つという覚悟っていう意味では天堂真矢と並び立つにふさわしい存在なのかもしれないと思ってます。『次の舞台』への意識っていうのも、繰り返す第99回からの退場と、愛城華恋や星見純那によって紡がれた第100回への筋道によってより強固になっていると思いますし。

このレヴューにあたって、明確に『失格』であるということが描かれていたのは香子と純那ちゃんかな。
香子はすでに舞台の上であることに気づかず、オーディションが始まったという発言をしているし。すでに誰かに勝つことでなにかを貰えるフェイズではなく、自らで考え、自らの足で進んでいかないといけないっていう意味まで込で、『オーディションじゃない』っていうのが念押しされてたのかなと。
純那ちゃんのほうはわかりきっているけど、明らかに『同級生 台場なな』の言葉ではない「なんだか強いお酒を飲んだみたい」という言葉に対して、「私達、未成年よ?」という『同級生 台場なな』へ向けた見当違いな言葉を返しているという点ですね。唯一あの発言に対して、素直に返してしまっているというところで、星見純那が一番舞台から遠いところにいるということも示唆されているのかなと。

幕間

大事なのは、各舞台少女が「私たちはもう舞台の上」ということに気づくこと、というシーンだとおもうんですけど。それ以上に舞台創造科の眞井さんと雨宮さんの話がめっちゃいいんですよね。締め切りの約束は守らせるけど、そこまでの成果をちゃんとねぎらうし、脚本未完を知らせる際にはちゃんと矢面に立つし。ちゃんと他の生徒たちを味方につけてから雨宮さんを舞台にあげて、背中を押してあげてるし。アニメではそこまで描かれてなかった二人の関係性みたいなのが垣間見える、とてもよいシーンだと思います。

流れてる音楽もまた罪深くて、決起集会では名曲と名高い約束タワーが流れるし、眞井さん達舞台創造科のシーンで舞台少女心得流れるし。特に後者が、演者だけではなく、舞台に熱量を捧げるすべての舞台少女を描く物語だと感じられてすごくすき。

物語内で重要そうな演出でいうと、決起集会中にライトあたってるのが天堂真矢だけで、それ以外の99組はライトがあたってないところで、舞台の上にいることを自覚できない人間にライトは当たらないってことだという演出らしいっすね。そして脚本を手にしたことでライトがあたるようになると。そして、皆殺しのレヴューにおいては舞台装置としての役を果たしていたばななは裏方だからライトがあたらないところからみんなを見ていると。ってなると決起集会っていうのも、101回聖翔祭への決起集会だったけど、以降に待つレヴューたちへの決起集会でもあったって感じなのかな。

怨みのレヴュー

言ってしまえばいつものふたかお痴話喧嘩だった。
のだけれど、やはり繰り返し見ることで解像度が上がって最初は見えなかったものが見えるようになったので反復学習って大事なんだなって。スタァライトは演出のパワーがありすぎて、どうしても見逃し気味になってしまうっていう要素が多すぎる。

双葉が一人で新国立を目指すことを決めたいうところに不服な香子と、自ら決めた道を曲げたくない双葉のぶつかり合いでしたね。アニメ本編でも語られてたように、双葉自身は香子のうしろについていくんじゃなくて、隣でいたいという意思があるので、今自分の立てる最高の舞台に立ちたいと願う。それ自体は香子も理解していたのでは? ではなぜ衝突した? って考えてみたら、香子も自分の未来が不安だったんじゃないのかっていう結論に私は至りました。
眞井さんも語るように、『初めてのことは怖い』んですよ。他の人は進路相談の際にも第三希望まで記載がありましたが、香子は第一希望にしか記載がありませんでした。日舞の家の跡取りなので当然ではあるんですが、第一希望しかないっていうことは失敗したときの逃げ道がないってことでもありますよね。そりゃ怖くもなりますし、『トップスタァが保証される』オーディションに対する執着も強くなるのかなと。その抗えない未来を目前にして、今まで一緒にいた双葉が一緒にいれなくなるともなれば、そりゃ人に当たりたくなる気持ちもわからんではないよなと。だからあれだけ大仰に行われたレヴューだけれど、実際は、双葉と本心で話して、安心したかったぐらいの話だったんじゃないかな。

演出の内容にふれると、やっぱりデコトラですよね。ぶつかり合い(デコトラの)、清水の舞台から飛び降りる(デコトラが)。インタビュー記事やパンフの対談記事なんかを見る限り、めちゃめちゃ力入ってるみたいですね。デコトラなんて見るのいつ以来なんだっていう気持ちなので比較はできないですけど、確かに大迫力でした。双葉と香子がそれぞれのデコトラに乗りながらつっこんでいくところすき。
あとはやはりレヴュー曲の良さですよね。すべての項目の中でこれについて無限に言及しそうな勢いですが。特にレヴュータイトルが表示されたタイミングで雰囲気がガラッと変わるところが好きです。トゥナイッ!の部分ね。そしてタイトルが「わがままハイウェイ」だったところがすきポイントで、今までわがまま=香子みたいなイメージを散々植え付けておいて、ここでいうわがままって双葉のことだったのかよ~~~~コイツゥ~~~~~!!!みたいな気持ち、わかりません? 初見のときはマジでこの感情に支配されました。香子の保護者!っていう印象が強い双葉がずるい!っていうところ、お前のかわいさのほうがずるいよって。

競演のレヴュー

待望のひかまひレヴュー!!! 途中から思ってたんと違ったけど!!!!!

役割的には、不在だったひかりちゃんのための個別皆殺しのレヴューって感じかな? 舞台に立っていることを自覚するための、舞台少女の死と再生を個別レッスンで。途中で首をふっとばされたミスターホワイトのパネルが、最後には首をテープで貼り付けてあったのが写ってるってとこからもここは間違いないのかなと。

中身としては最初はスポーツ演技をしているのにそれに乗ってこないひかりちゃんにまひるちゃんがマジギレ、殺しにかかるっていう内容なんですけど。まひるちゃんの顔も声も演出も怖いんだよね。そりゃひかりちゃんも去り際に、「まひる、すごく怖かった!」って言うよ。エレベーターのシーンとか完全にホラーだった。あと鉄骨の端でひかりちゃんの胸ぐら掴むところがすき。
でも一連のまひるちゃんの行動が演技で、ひかりちゃんがちゃんと華恋ちゃんにちゃんと舞台少女として向き合えるようにしていたという、ひかりちゃんの面倒をみるまひるちゃんという、求めていた通りのひかまひが提供されました。最高。走れ!神楽ひかり!
という以上に、まひるちゃんの成長というのが描かれていて、とても涙腺にきました。それは口上に強く現れていまして。かつては自分にはなんにもない、と言っていた彼女が、「舞台に立つ喜びを歌い 舞台に立つ覚悟を踊り」と宣誓できる強さを手に入れ、その覚悟を他者に問えるようになってるんですよ。そんでもって、かつては「キラめく舞台が大好きだけど キラめくあなたはもっと好き」だったのが、「キラめく舞台が大好きだけど キラめくみんなはもっと好き」になり、今回のレヴュー後には「キラめく舞台が大好きだから キラめく自分を目指してまっすぐ」になるんですよ。泣いちゃう。そもそも、まひるちゃんて元々聖翔に入学する前から自分の中でどんなスタァになりたいかっていうものがちゃんとあったっていうことを考えると、舞台少女としての覚悟っていうのは九九組の中でもアドバンテージがあったと思いまして。そのまひるちゃんも周りのキラめきに自信を失ったんだけど、自分のキラめきを取り戻して、改めて舞台に立つ覚悟を持つことができて。ってなったら新国立受かるのも納得ですね。

レヴュー曲もまたいいんですよ。今回のレヴュー曲は1曲が長くて、その中で展開の変化があるので聞いてて面白いし楽しいし最高。多分みんな好きなのが「あなたがあなたがあなたがあなたが」の部分ね。そこから雰囲気が一変するのであそこのフレーズめちゃめちゃ印象に残るんだよな。

狩りのレヴュー

このレヴューみた瞬間、あまりにも受けた衝撃がでかすぎて、ここまで鑑賞してきて気になったこととか考察したいなって思ったことが完全に吹っ飛んだんですよね。おおげさにいうと、このレヴューシーンを映画館で見たい!というモチベーションだけでも映画館に通える程度には素晴らしいシーンの連続でした。多分みんな同じ感情になっただろうなって思ってたら、Twitterのネタバレタグみる限りみんなちゃんと見た内容覚えててすげえって思った。

演劇の道を諦めないといいつつも、劇団を志望せずに大学進学を決めた純那ちゃんに対して、引導を渡そうとするばななの話。突出した能力を持たない人間であるところの私からすると、純那ちゃんの選択はめちゃめちゃクレバーだと思ってしまうんですよね。早稲田大に入学して、大学に通いながら演劇を続けるっていう道を選べば、仮に演劇の道で大成できなくても進路の選択肢は広く取れるので、リスクはかなり低減できるはずなので。でも、それは突出した能力のない私にとっての話で。高倍率の聖翔に入学できた、演劇の能力が認められている星見純那という人物にとっては当てはまらない話でもあったのかなと。もし演劇の道で進む覚悟があるなら、大学進学せずに聖翔音楽学園から直接劇団に入るなり、演劇系の学校に入るなりしたほうが将来的にはプラスだったのかもしれない。ただその道を選択するには、同期の天堂真矢や西條クロディーヌが眩しすぎたと。そんな純那ちゃんを見て、中途半端な道を選ぶぐらいならいっそ舞台少女としての生をここで閉じるべきだとばななが自決用の刀を突き出すという流れでした。

純那ちゃんに向けられるばななの冷たい顔が新鮮でした。純那ちゃんは「言葉が私の力になる!」としつつも、ばななは純那ちゃんが紡ぐ言葉に対して興味のなさそうな視線を向けるだけで、すべて切り捨てて、あっけなく「眩しかったよ」と告げるシーンはかっこよさとともに切なさを感じました。再生讃美曲で「いつか誰かその言葉で その温度で私を救うの」と歌われたように、ばななは純那ちゃんの言葉に対してとても強い思いを持っていて、その言葉を純那ちゃんが自身の正当化に使っていたことが許せなかったのかな。

そんな思いを向けられ、ばななが自身のことを「眩しかった」と過去形で形容したことについてショックを受けつつも、なおも偉人の言葉を引用しながらの自己正当化をやめない純那ちゃん。でも最終的にはばななから与えられた、自害する舞台少女という役割を受け止め

ないんですよね。「他人の言葉じゃだめ」と吠えながら、与えられた役割に対して自分のキラめきを叩きつけ、主役として舞台に立つ役へと昇華させ、「殺してみせろよ 台場なな」と宣戦布告する。このシーンがあまりにも素晴らしすぎる。今感想書くために思い返してるだけで目頭が熱くなるのを感じますね。「殺してみせろよ」というワードチョイスもいいですよね。自害する気なんてないから、殺せるもんなら殺してみせろよっていう強い意思が感じられて。本当にかっこいい。パンフに記載されてる口上のページを何度も見てしまう。渡された刀はばななが持ってる刀より短いし、使い慣れてない武器だからばななに圧倒されつつも、決して屈せず立ち向かい続けるあのシーンは胸アツです。何度もオーディションを繰り返したななをもってしても「何者だ」と言わしめるようなキラめきを発しながら、「眩しい主役 星見純那だ!」と叫びながらとどめを刺すシーンは声優さんの演技も相まって、圧巻でした。

このレヴューを経て、純那ちゃんは舞台で生きていく覚悟を改にし、エンドロールでは進路をNYミュージカルドラマアカデミーを変えていることが確認できます。そして、純那ちゃんから「いつか 舞台で」という言葉を受け取ったななは新国立から王立演劇学院に進路を変更していました。ななから受け取った役によって純那ちゃんの進む道は変わりましたが、同じく今まで見たことのないキラめきを見せつけられたななもまた、進む道を変えました。いつか舞台で再会するために、ななもまた自分の挑戦できる最高のとこを目指すことに決めたのかなと思うと、この二人もまたアニメでの真矢クロのように、お互いがお互いを高めあう関係になれたというのがとても嬉しかったです。

このレヴューに関しては前述のシーンの迫力がすごすぎて、レヴュー曲ほとんど覚えてないんですよね。早く劇伴CD発売されないかな。

魂のレヴュー

真矢クロのオタクが軒並み死ぬ。求めていたものが100倍濃縮されて提供された。

まずレヴューの前、なぜかアニマルしょうぎをしている真矢クロ。「わたしのひよこは?」「ひよこがかわいそうで」とか言いながらクロちゃんにボコボコにされてる天堂真矢かわいかったな。こういう将棋弱いとか美術苦手とか、そういうところでちゃんと人間味があるのが天堂真矢のキャラクターの魅力なんですよね。そしてそれを舞台上では微塵も感じさせないというのも素敵。

舞台人 天堂真矢と悪魔 クロディーヌによる見たことのないキラめきを見せるための契約というテーマで、他のレヴューとは違い(書いててすこし疑問に思った。明確になっていないだけで今回のレヴューはレヴュー曲の観点から見ても章仕立てになっていないか?)複数章仕立てとなっています。この章展開の中で、これまでの真矢クロと、これからの真矢クロが描かれていました。

ACT1は真矢クロの出会いについて。サラブレッドとして有名な天堂真矢に対して、クロディーヌが喧嘩をふっかけていくというのが、いきなり契約を持ちかけてくる悪魔という形で描かれていました。
ACT2ではお互いが戦うことによって高め合う関係となっていくことが描かれています。ここまではアニメ10話までの流れと相違ないですね。英雄には試練を 聖者には誘惑を 私には悪魔を
そしてACT3では、私の解釈では、天堂真矢の捉えるスタァ像とクロディーヌの関係性を描いていたと捉えています。天堂真矢は舞台上でも感情をあらわにするクロディーヌからいい影響を受けつつも『ライバル』として捉えず、あくまで『自らを高めることができる存在』という枠組みで捉えています。自らを『器』と形容しているように、天堂真矢は理想の演者というのを、自分の意思など介入させずに役を顕現させるものと捉えていると推測できますので、それにふさわしい相手である西條クロディーヌも自らの感情を発露させるにふさわしくない相手と捉えているのかなと。だから特に感情的になることもなく、クロディーヌのボタンを弾き飛ばします。そして、ポジションゼロにレイピアを突き立てようとした瞬間、ポジションゼロマークがシャッターで隠されてしまいます。この瞬間、感情を出さない天堂真矢はいなくなりました。
ACTタイトルが出るのは少しあとですが、ここから先がACT4であると私は思っております。舞台のルールなんて関係ないというようなクロディーヌに対して、感情剥き出しになってぶつかっている天堂真矢というのは、本来彼女の思う理想の舞台女優ではなかったのかもしれません。でも、クロディーヌの語ったとおり、私達が求めていたのは感情剥き出しでぶつかり合う真矢クロであり、そんな彼女達は大変魅力的でした。アニメ10話の「泣き顔も可愛いですよ、私のクロディーヌ」に対する意趣返しのような「今のあんたが一番可愛い!」というセリフに対する「私はいつだって可愛い!」というセリフが新しい二人の関係性を色濃く示しているのかなと思います。英雄には試練を 聖者には誘惑を 私にはあなたを!

このレヴューの見どころといえば、お互いの口上ですよね。アニメでは口上は以下の通りでした。
天堂真矢
月の輝き 星の愛
数多の光 集めて今
あなたの心に 届けましょう
99期生首席 天堂真矢
今宵 キラめきを あなたに!

西條クロディーヌ
輝くチャンスは 誰もが平等
だから 愛のダンスで誰より熱く
自由の翼で 誰より高く
99期生次席 西條クロディーヌ
C'set moi, la star!(スタァになるのは、この私!)

これに対して、本劇場版では、
西條クロディーヌ
月の輝き 星の愛 など
血肉の通わぬ憐れなまぼろし
爆ぜ散る激情 満たして今
あんたの心に 叩きつける
99期生 西條クロディーヌ
今宵 キラめきで あんたを

天堂真矢
輝くチャンスは 不平等
千切って喰らえ 共演者
愛も自由も 敗者の戯れ言
天井天下 唯我独煌
99期生 天堂真矢
奈落で見上げろ 私がスタァだ

見事にお互いの口上を乗っ取って、自らの主張をぶつけあってますね。オタクこういうの大好きですよね。もう完全に喧嘩うってるもんなあ。特に好きなのは「奈落で見上げろ 私がスタァだ」ってところですね。自らが強者であることを誇りにしているキャラクターは大変魅力的ですよね。そして対等にぶつかりあう関係になったのだから、首席だの次席だのという他者からの評価は関係ないという意思も見えて、大興奮です。

あと、やはりレヴュー曲ですよ。前半も好きなんですけど、なにより素晴らしいのが後半ですよね。アニメ3話のレヴュー曲である『誇りと驕り』のフレーズが各所で引用されているのがニクい演出ですし、さらにその使われてるフレーズ部分を歌っているのがクロちゃんってところがまたいいんですよね。アニメ3話では華恋と天堂真矢の対決に使われた曲で、傲慢の女神を演じている華恋がいるという点から、華恋が『驕り』で天堂真矢は『誇り』であるかなと思ってましたが、今回引用されたことにより天堂真矢を指すものとして『誇りと驕り』だったのでは?という気持ちも湧きましたね。

華恋とひかりと最後のセリフ

おそらくメインテーマとして、劇場版を通して描かれていた、華恋とひかりの過去と未来の話ですね。
思っていた以上に愛城華恋という人間の構成要素における『舞台少女』の割合が大きかったなという印象です。まさかあの愛城華恋が舞台に出会うまでは引っ込み思案な女の子だとは思わんじゃんね。ひかりちゃんと出会った直後は挨拶もまともにできないレベルでしたからね。そんな女の子が舞台に出会っただけで、ひかりちゃんを巻き込んで舞台に立つことを決める程度には、華恋ちゃんにとって舞台が眩しかったんでしょうね。
そしてそこから舞台を目指すために小学生や中学生のころから努力を重ねていた様子が描かれていきます。ここの描写が丁寧な故に、後に出てくる愛城華恋が舞台少女として復活する際の「普通の女の子の喜びを燃やし尽くす」という行為の重さ、罪深さっていうものの説得力がましてますよね。それだけのものを燃料にしているからこそ、舞台少女はあんなに眩しいんでしょうね。
意外という点でいうと、ひかりちゃんは舞台に立つ自信がなかったっていうところもかなり驚きでしたね。言われてみれば確かに、アニメで語られた部分だけでいうとひかりちゃんがあの約束に執着するのってなんでだろうっていう疑問で出てもおかしくなかったなと思いました。ひかりちゃんが舞台に立てたのも、華恋ちゃんと『私達』になれたからだったんですね。

そうなると、ひかりちゃんが聖翔を自主退学したというのもなんとなく理解できるようになりますよね。ひかりちゃん自身も華恋ちゃんがいたからこそ、舞台に立てるようになった。じゃあ、その『私達』である華恋ちゃんのファンとなってしまったら、ひかりちゃんにはなにが残る? その状況を避けるために聖翔から離れたんじゃないかっていうのが飲み込みやすくなります。
その、目指すものを失っているひかりちゃんが華恋ちゃんの元に言ったとして、なにを言うべきなのか? なにを語ることができるのか? そこに蹴りをつけてくれたのが前述のまひるちゃんとのレヴューですね。このレヴューを経て、ひかりちゃんは華恋ちゃんと『私達』でなくなることの怖さを受け入れた上で、トマトという新しい舞台少女の燃料を補給して、華恋ちゃんとの舞台に向かいます。

再び舞台にあがった華恋ちゃんとひかりちゃん。ひかりちゃんはすでに燃料を補充していましたが、華恋ちゃんは与えられたトマトに口をつけずに舞台に臨んでいます。だから、ひかりちゃんとの会話の中で、二人でスタァライトするという目標を達成した今、舞台少女愛城華恋には燃料が足りていないというころに気づいてしまい、舞台少女としての死を迎えてしまいました。そんな華恋ちゃんに対して、もう一度舞台少女として舞台に上がってきてくれることを信じて、ひかりちゃんがお手紙を送りました。
そしてセンターバミリ型の棺となった愛城華恋は今までの青春、手放した普通の女の子としての喜びを燃料に再び舞台へ向かって走り出しました。
ここが舞台だ、愛城華恋!

新しい口上とともに舞台少女 愛城華恋と舞台少女 神楽ひかりが再び舞台上へ。愛城華恋とレヴュースタァライトの電飾を観た瞬間のテンションのあがりようといったら。そしてこの場面を盛り上げるレヴュー曲もまた素晴らしい。棺を載せた列車が東京タワーを上り始めたところから徐々に盛り上がり、二人がステージにあがった瞬間から、ここから大団円に向かうんだろうなというのが感じられ、テンションバク上がりですし、これからの展開にむけてのわくわくで体が震えました。
二人の新しい口上(ひかりちゃんの口上はパンフに乗ってない、残念)がまたいいんですよ。二人で立つスタァライトからの次へ進む覚悟が現れていて、お互いに対する言及がなく、一人でも舞台に立ち続けるということを力強く主張していました。私がスタァだ!というひかりちゃんの声の演技と照明の演出は物語のクライマックスにふさわしい、まさに見惚れるものでした。

そして、舞台少女を目指すきっかけとなったあのスタァライトのときと同じように、愛城華恋は神楽ひかりのキラめきに目を奪われ、物語は最後のセリフへと進んでいきます。

「ひかりに負けたくない」

かつて『私達』であった『ひかりちゃん』と決別し、舞台を目指すという同じ目標を共にするライバルとしての『神楽ひかり』という認識を改にすることで、「かつて観た舞台のキラめきに目を奪われた『私達』がスタァライトという舞台を目指す」という舞台、『レヴュースタァライト』が終幕しました。『いつか あの娘と闘うことになっても』舞台を目指した少女達の物語は『いつか あの娘と闘うために』舞台を目指す物語へと少女達を誘うみたいです。そして舞台少女達はスタァライトの運命の二人の象徴である上掛けを切り離し、次の舞台へと進んでいきます。
「演じきっちゃった、レヴュースタァライトを」というセリフは『アニメーション作品 少女☆歌劇 レヴュースタァライトが幕を閉じる』というメタ的意味合いもある(第四の壁的演出もあるので)と思いますが、私はこの愛城華恋という少女のスタァライトを追いかけた人生という舞台に対する言葉だと思ってます。

みんなをスタァライトしちゃいます!

狩りのレヴューの項でも少し触れましたが、エンドロールでは卒業後の各舞台少女の進路について触れていました。進路を希望から変えたのは純那ちゃんとななの二人、それ以外は希望通りの道へと進み、新たな舞台を目指し日々進化中でした。ななとの電話の感じから、ひかりちゃんも王立演劇学院所属の様子。
そして進路希望が空欄だった愛城華恋は、新たな舞台のオーディションに臨んでいるというのが描かれ、次のセリフで幕が下ります。

「みんなを スタァライトしちゃいます!」

この言葉って愛城華恋の口上にも入っている言葉ですし、アニメ1話から聞いてきた言葉でしたが、特に意味を理解せず、なんとなーく「魅了する」ぐらいの意味なのかな?って捉えてました。このセリフが、スタァライトを演じきった愛城華恋から出たということで、なんとなく言語化できるのかなと。
私はこの「スタァライトしちゃいます!」を「観劇した人の人生を変えてしまうような、そんな舞台経験を味わわせる」という意味合いなのかな、と劇場版まで観終わった状態で結論づけました。愛城華恋の人生はスタァライトという舞台を通して大きく変化しました。それは目標としたスタァライトの舞台に到達してもなお、輝きをまとっている。そんな経験をさせられる舞台女優がいたら、それは最高の役者と言えるんじゃないでしょうか。
『みんな』からはじまり『あなた』を通して、再び『みんな』を魅了する愛城華恋の舞台女優人生、気になりますね。スピンオフとか出たらきっと見ちゃうんだろうな。

総括

本当に面白い作品でした。この作品に出会えてよかったと心からいえる作品であり、この作品に観客として、そして燃料として巻き込んでもらったことに感謝しかありません。私は映画がそれなりに好きで映画館にもそれなりに足を運ぶ人間ですが、よい映画には2種類あると思っていて、物語が面白い映画と映像が面白い映画に分類されると思っています。この映画はどちらも満たしていたなと。だからこそストーリーが気になって観に行って演出に圧倒され、大枠のストーリーは抑えた上で2回目を観に行き、詳細を漏らすことなくみてやろうというスタンスで3回目を観に行き、そのどれも大満足で劇場を後にできたんだと思います。本当にいい作品だったので、ぜひとも観に行ってほしいです。
そして、冒頭にも申し上げました通り、これは私がこう解釈したという記事です。きっと別の解釈の仕方が無数にあると思います。特に私はふたかおに対する解像度に自信がないのでこれは違うんじゃないかっていうところや、もっと深く考えられるよね?っていうところはどんどん主張していただきたいと思っております。ここにコメント残せとか、リプライよこせとかそういう話ではありません。Twitterでもブログでも、お使いのメディアならなんでもいいので。スタァライトはそういう解釈というか、自分の考えとかそういうものをアウトプットしてくれる方が多いというのがコンテンツとして好きな理由の一つでもあります。ネタバレタグもちょいちょい検索して楽しく読ませてもらってます。
以上、劇場版スタァライトの感想記事でした。